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三河湾中央の小さなまち幡豆町(はずちょう)の新たな取り組み
  愛知県幡豆町は愛知県の南部、三河湾の中央に位置する人口約1万3千人の小さな町である。周辺都市はものづくり産業が盛んで都市化が進む中、町内区域の山林5割、農地1割、市街化調整区域9割、海と山の自然にあふれ、昔のままの風景、数々の民話が残っている。この町の取り組みについては、今年の1月に発行した弊社社外報「ラバダブ11号」でも触れたが、今回はその後の新たな動きを紹介する。

■インターネット上に仮想社会「幡豆・そうだ村」出現
  「ぼくらの七日間戦争」の作者として知られる小説家宗田理氏が、幡豆町の風景や人情に魅せられ、短編の書き下ろし小説「ミカワ・エクスプレス」を執筆し、今年の1月28日より毎月1回、町役場のホームページで更新されている。この物語の主人公は研究室で育って知能が発達したマウスで、「幡豆・そうだ村」で起こる様々な出来事をこのマウスが携帯電話で打ち出した観察記録というのが物語の設定である。これまで2つの短編小説がアップされているが、子どもやお年寄りが登場し、都会の人が忘れかけていた人情や日本の原風景を思い出させてくれる小説は一見の価値がある。

■幡豆の特産品開発「はずあさりの味噌焼き」
  今年度、中小企業庁の支援事業「地域資源∞全国展開プロジェクト」に、幡豆町商工会の提案【「三河の豊な恵みのまち」の構築、地域食材ブランド展開事業】が採択された。この事業の成果として、地元で獲れるアサリ、豆味噌、酒の事業者が集まって「はずあさりの豆味噌焼き」を作り出し、今年2月2日に地元でお披露目のシンポジウムが開催された。ちなみに、幡豆は隠れた潮干狩りの名所であり、シンポジウムで配られていた試作品を自宅で食べたが、なかなかの味だった。

■三河鳥羽の火祭り
  三河鳥羽の火祭りは、毎年2月第二日曜日に行われる1200年の歴史を有する祭りである。2004年に国の重要無形民俗文化財に指定されている。鳥羽神明社に竹や茅などで高さ5メートルほどの「すずみ」が2基つくられ、夜になると神男と奉仕者達は、それぞれ西側の「福地(ふくじ)」と東側の「乾地(かんじ)」の2地区に分かれ、燃え盛る「すずみ」の中から神木と十二縄を取り出そうと競い合う。西側の福地が勝てば山に雨と豊作がもたらされ、東側の乾地が勝つと乾ばつや飢饉がおこると伝えられている。彼らは古い幟旗で作られた頭巾や衣装をまとい機敏に動くことから「ネコ」と呼ばれ、燃え上がるすずみに勇敢に飛び込んでいく。
  今年は名鉄の様々な駅でポスターが貼られ、町のホームページでも4ヶ国語で表記するなどPRに力を入れられていた。また、地元の造り酒屋「尊皇」が地元の鳥羽地区で採れた米を使って「三河鳥羽の火祭り」という銘柄の酒を作り、PRに活用されている。

  幡豆町で取り組んでいるような地域ブランド化の動きは、近年、全国のいたるところで行われている。2006年4月の商標法の改正により、地域名と商品名からなる商標登録が受けられるようになったため、地域ブランドの動きに拍車がかかったといわれている。この地域商用制度による出願件数は、制度開始から1年10ヵ月たった2008年1月末までで愛知県で28件、全国で793件に上る。こんなにたくさんの取り組みがある中で、小さな幡豆町の認知度が高まるには相当な努力が必要であろう。
  ただし、幡豆町には、1968年開設の三ヶ根山スカイライン、1974年開設の愛知こどもの国の2つの県営施設があり、2施設だけで年間80万人の集客を有している。2月から8月頃まで海岸で行われる潮干狩りでも8万人弱の集客がある。東西7.5km、南北5.3kmというコンパクトな町域の中に、三河湾岸から三ヶ根山まで標高差350mを有する閉鎖的な空間は独特の風景・景色を生み出し、天気のいい日に三ヶ根山から見た三河湾、伊勢湾方面の風景には圧倒される。幡豆での過ごし方(遊び方、食べ方、学び方)の開発の余地はたくさんある。今後も幡豆町の活動に注目していきたい。 
三河鳥羽の火祭り
三ヶ根山からの風景

(2008.3.3/浅野 健)