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天白プレイパーク

1.てんぱくプレーパーク世話人 白石公二さん&プレーパークにいた女性達のお話から

プレーパークのルーツ

 プレーパークのルーツはヨーロッパにある。人為的に造られた公園よりも、廃材置き場で好んで遊ぶ子供達の姿がヒントになり、生まれた。それがイギリスに伝わり、大きな発展を遂げたが、今は下火になっている。

日本でのプレーパーク活動

 日本でのプレーパーク先進地である東京では、約20年前からプレーパークの取組が行われてきた。最初のプレーパークは「羽根木プレーパーク」である。

 現在、日本国内でプレーパークづくりのために活動している会は、少なくとも20ある。子育てへの不安などが追い風となって、日本ではプレーパークづくりの活動が盛んになったようだ。

てんぱくプレーパークの立ち上げ

 「天白公園を考える会」は、約16年前にできた。当時、文庫活動をしながら子育てに励んでいた奥田陸子さんが発起人である。この会の活動が実り、今年4月、てんぱくプレーパークが立ち上げられた。名古屋市の職員で、プレーパークについてよく知っている人がいたことは、ラッキーであった。

そして今…

 会員数は現在105人。だいたい1km圏内くらいに住む子供達がよく遊びにくる。親子で訪れる人も多い。親子でともに遊ぶという経験がないと、親は子に「〜してはダメ!」と、注意するばかりになってしまう。ここでは異年齢の子供同士も親しくなれる。時々、子供をプレーパークに置いていってしまうお母さんがいるのには困る。ここは学童保育ではないのだから。

 プレーリーダー(プレーパークで子供を見守り、ともに遊ぶ人)は、佐藤伸さんで、もとは羽根木プレーパークのプレーリーダーだった人だ。月・火以外の午前10時から午後5時まで常駐している。佐藤さんの他に、数人の地域の大人達がプレーパークで子供を見守る。「もう子供が大きくなり、身軽になったため、毎日来れるようになった」という女性もいた。

 ブランコやすべり台などの、いわゆる遊具はない。子供達は、自然の地形の中で遊び、土に穴を掘ったりすることもできる。プレーパークにいた女性の1人は「春夏秋冬を肌で感じます」と話してくれた。ここでは、「自分の責任で自由に遊ぶ」ことが原則で、「ケガと弁当は自分持ち」である。鋸や鉈も、貸し出しを行っている。ただし、鉈を使う場合は大人が必ずそばにいる。火を使うこともできるが、その都度「デイキャンプ」の届け出が必要である。しかし、今は親の世代も「指示待ち」の人が多く、泥遊びなども敬遠する人が目立つ。起伏の多い敷地内は、いわゆるバリアフリーとはほど遠く、足の不自由なお年寄りなどが歩くのには不向きである。が、ここは子供専用の遊び場なのであるから、あらゆる人が使えるようにする必要はない。

 問題は、金銭面とマンパワーである。プレーリーダーの人件費は、今は非常に安いものである。もっとお金が必要だ。また、人手を補うために、幼児を持つ母親をもっと巻き込む必要を感じている。

2.感想

 今時、こんなに自然に囲まれた遊び場で遊べるなんて、いいところだと思う。小屋の背後の小高い山には木が茂り、間伐した枝を使って自由に遊べる。しかし、運営する大人は色々と大変なようで、今は子供を遊ばせるのも大仕事のようなのである。


(1998.12.24/伊藤彩子)