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 石垣修理事業中の弘前城を訪ねて

 弘前城・弘前公園は、桜の名所として全国に知られ、現存天守が国の重要文化財に指定されている。今年のゴールデンウィークに弘前を訪れる機会があり、その様子を報告したい。
 弘前城天守は元々5層であったが、寛永4年(1627年)に落雷によって発生した火事で焼失。その後は幕府により天守の新築が200年近く認められなかったが、江戸時代後期にロシア船が津軽海峡を往来するようになり、1810年(文化7年)に弘前藩は幕府から蝦夷地(北海道)警備を命じられ、あわせて天守の新造を認められたとされている。
 弘前城天守は、本来は本丸石垣の隅に建てられていたが、本丸石垣が膨らむ「はらみ」が出ているため「弘前城 石垣修理」が行われている。このため、天守は本丸内に曳屋され、今の設置場所の近くに仮設の展望台が設けられ、そこから天守とその背景に岩木山を見ることができる。今後、石垣が解体され、積み直しをして元の位置まで曳屋されるのが平成33年頃のようで、天守と岩木山を同時に写真に収められるのはここ数年間となるだろう。
 弘前城のもう一つの特徴としては、城下一帯を城郭と見立てて濠や土塁で囲い込んだ防衛施設、この「惣構(そうがまえ)」が国の指定史跡となっていて、各寺社を防御のために集めるなど、藩政時代の城下町を今に伝えているという点がある。弘前城の北側には武家屋敷が並ぶ仲町伝統的建造物群保存地区や石橋家住宅(国指定重要文化財)があり、城南側の追手門広場には市の観光館、旧図書館(近代洋風建築)などが立地し、近くには弘前市出身で日本商工会議所初代会頭の別邸であった「藤田記念庭園」もあるなど一大観光スポットとなっており、歴史の積み重ねを感じることができる。石垣の修理が終わり、天守が元の位置に戻された時に再び訪れたい。

弘前城天守
石垣の修理事業が行われている弘前城


本丸に曳屋された天守と背景の岩木山
仲町
仲町重伝建地区
石橋家住宅
弘前公園北側、亀甲門前の石橋家住宅(国指定重要文化財)

弘前公園南側の追手門広場にある弘前市観光館 奥に見える洋館が旧弘前市立図書館
旧第八師団長官舎
有名カフェチェーン店に利用されている旧第八師団長官舎(国登録有形文化財)
旧弘前市立図書館
旧弘前市立図書館
藤田記念庭園
藤田記念庭園 手前が和館、奥が洋館
(2017.6.19/浅野健)