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富弘美術館

 富弘美術館は、星野富弘の故郷、群馬県はみどり市東町の山深い草木湖という湖のほとりにある。星野富弘は1970年、24歳の時に中学校の体育教師に着任するが、体操部の指導中、宙返りの模範演技に失敗し頸随を損傷、手足の自由を失ってしまう。絶望のどん底から、口で筆をくわえて書いた文字が友人の励みになったことに気付き、徐々に絵や詩を書くようになる。彼の描くのは身近な自然をモチーフにした、自分への励ましや生きることの喜びを表現した詩画作品で、それらが多くの人に勇気と感動を与え1991年には旧富弘美術館の建設にまで至る。そして、予想以上の来館者のため、1999年頃より新美術館の建設検討が始まり2005年に新しい富弘美術館の開館を迎えることとなる。
 新富弘美術館の設計は当初、世界的な建築家レム・コールハース氏に依頼する予定であったが、交渉が不成立に終わり、急遽国際設計競技の開催となる。このコンペではインターネットで世界から設計案を公募するという画期的な手法が取られ、世界54カ国から1200点以上の応募が集まる。応募作品はすべて体育館に展示し村民に公開した。村民の美術館建設の気運は一気に高まり、住民意見交換会が活発に行われ、子供による審査会なども開催された。最終審査では、村内外から400人が傍聴に訪れ、ボランティアによる炊き出しまで行われた。審査の結果、すべての部屋を円筒形の鉄板構造による現代的な空間で構成したヨコミゾマコト氏の提案が最優秀賞に選ばれた。人口4000人足らずの町で国際コンンペを開催すること自体珍しいことであるが、ここではさらに施工者もコンペで選定する「富弘美術館施工計画提案競技」も開催された。このコンペでは、価格と技術を切り離した二段階で審査を行うという方式が取られた。一次の価格審査では、有効最低入札者から数えて7社を選定するという方式が取られ、最低価格もダンピングや手抜き工事を牽制するため、設計価格の80%とされた。二次審査では、価格を審査の対象とせず、施工技術や問題解決の方策、住民参加の取り組みなどを公開で審査した。審査の結果、価格は一番高かったが、設計意図をくんだ改善策が高く評価され鹿島建設選ばれた。
  このような建設プロセスは、通常の公共建築の建設と比べれば多く費用や、時間、労力が必要とされ、無駄と思われることもある。しかしその結果、星野富弘というかけがえのない存在を地域資源として最大限に活かせるかけがえのない施設を手に入れることができたと言えよう。さらに、ともすれば冷たく排他的な表現を好む現代建築に、星野氏の作品のような人間の手のぬくもりが感じられるやさしい作品が違和感無く展示できる世界でも珍しい美術館を誕生させたと言えよう。

富弘美術館の外観
富弘美術館の外観
円形の部屋
内部はほとんどが円形の部屋で構成されている
館内から草木湖を望む
館内から草木湖を望む
(2010.8.16/堀内 研自)