現在の位置:TOP>まちづくりを学ぼう>視察レポート>石見銀山をたずねて WWW を検索 スペーシアサイト を検索

 

石見銀山をたずねて 〜2007年社員旅行 in 山陰〜 
 今年の社員旅行は、世界遺産登録をめざしている石見銀山をはじめ、温泉津、松江など山陰に出かけた。名古屋からは中部国際空港から出雲空港への直行便がないため、島根県の東隣にある米子空港(鳥取県)からのアクセスとなった。東の米子空港から西の温泉津までの移動時間だけで3時間、名古屋からだと半日がかりと、とにかく移動が大変であったが、梅雨時ながら天候には恵まれ、有意義な旅行となった。

●石見銀山
  石見銀山は、1526年に博多の豪商神谷寿禎によって発見され、1923年の休山まで約400年にわたり採掘されてきた遺跡である。17世紀前半の最盛期には、日本の銀生産量は世界の銀生産量の3分の1を占め、日本の生産のかなりを石見銀山が占めていたようである。盛時は20万人もの人たちが住んでいたともいわれている。
  石見銀山のうち、見学のメインとなるのは直轄領の中心地であった大森銀山伝建地区(1987年指定、32.8ha)から龍源寺間歩(まぶ)までの約3.1kmの区間である。当日は、石見銀山ガイドの会の方の案内で、主に龍源寺間歩から銀山公園までの約2.3kmを巡り、残りの大森地区は各自で見学した。
 間歩とは、銀の採掘のために掘られた坑道のことで、石見銀山には間歩が600以上あるといわれているが、現在公開されているのは龍源寺間歩のみである。銀山川沿いに、所々に間歩が点在しているほか、木々の中に埋もれてしまってガイドさんの説明なしには気づかないような石垣も各所に見られた。
 大森地区は、代官所跡にある資料館、大森町を代表する商家の熊谷家住宅(国指定重要文化財)、武家屋敷旧河島家など、江戸時代から戦前までの石州瓦の建物が残る。また、飲食、雑貨などの観光客向けの店も建ち並んでいる。また、小学校や町並み交流センターもあるなど、コミュニティが存在していることも魅力的である。
 案内していただいたガイドさんによれば、石見銀山の価値を知るには、さらに数時間かけて未舗装の林道に足を入れなければならないとのことであった。この林道に足を踏み入れると、銀山開発当初の石銀集落や大久保間歩、釜屋間歩などの間歩群があり、戦国武将の争奪戦の様子を知る山吹城跡などの城跡がある。大森地区の建物の修復・改修や龍源寺間歩におけるバリアフリー化など最低限の手を加えるが、石銀集落は復元せずにそのまま埋め戻し、間歩群は現在のまま手を加えないのが石見銀山保存の理念である。

●温泉津(ゆのつ)
  1300年以上前にタヌキが見つけたとされる元湯と、1872年の浜田大地震で湧き出した薬師湯(震湯)と二つの源泉がある小さな温泉街である。毛利が支配していた時は銀の積出港として栄え、江戸時代は生活物資の供給基地として銀山の暮らしを支えた。
 2004年に日本初、温泉街で伝建地区に指定された(面積33.7ha)。江戸時代以来の町割を残し、町屋、廻船問屋、温泉旅館、社寺等の建物が残っている。石州瓦や所々になまこ壁の建物もある。町並み保存事業第1号で修理されたカフェ&バー「路庵」をはじめ、年2,3件のペースで建物の改修が行われているという。宿泊した旅館や外湯で言葉を交わした地元の人々は、とても人当たりがよい。食は、日本海の海の幸が豊富で申し分ない。
 一見、寂れた温泉街(地元の方々には失礼かもしれないが)であるが、隠れ家的な地域として十分お勧めできる。

●松江
 松江では、船による堀川めぐりを体験した。松江の中心部を囲む宍道湖が汽水湖であるため、水位が安定しており、堀川の水面も穏やかであった。船頭さんの話を楽しみながらゆっくりした時間を過ごすことができ、観光客を意識して季節の花やぬいぐるみで飾っている川沿いの民家の様子も楽しめた。

●全体を通して
 山陰地方はJRでも1時間に2本程度しかなく、東北や九州と比べても公共交通の面でハンディを背負っている感が否めない。しかし、石見銀山のガイドさんや温泉津、松江で出会った地元の人々のもてなしがあり、石見銀山・大森地区や松江市内では、バス交通・レンタサイクル・堀川船めぐりなどの歩行者支援も整っており、まちの魅力をいっそう引き出している。
 石見銀山の2007年7月の世界遺産登録については、ユネスコから延期勧告を受けたが、市民・自治会・交通事業者・行政が力を結集して町並み保存、ガイドボランティア、パーク&バスライドによる交通規制に取り組んでおり、その動向を今後も注目していきたい。
 










(2007.6.23/浅野 健)