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第17回 景観ルックイン「佐賀県肥前浜宿の町並み」
主催:(社)日本建築学会都市計画委員会都市景観小委員会
2007年8月28日
 (社)日本建築学会が建築学会大会に合わせて実施した視察会に参加し、佐賀県鹿島市肥前浜宿(ひぜんはましゅく)の町並みを見学した。肥前浜宿は、有明海に面する川港を起源とし、江戸時代には長崎街道のひとつである多良(たら)海道の宿場町としてにぎわったまちである。2006年には、「浜中町八本木宿」と「浜庄津町浜金屋町」が国の重要伝統的建造物群保存地区として選定された。2つの地区は浜川という川を挟んで隣り合うような位置関係にあるが、地区の性格が異なるため2地区に分けられており、「浜中町八本木宿」は「醸造町」、「浜庄津町浜金屋町」は「港町・在郷町」として選定を受けている。
 「浜中町八本木宿」は「酒蔵通り」と呼ばれる道沿いに妻入りの大きな土蔵が建ち並んでいるのが特徴的である。良質な水があり、水運に恵まれたことから、江戸時代から昭和初期にかけて酒造業が栄え、最盛期には十数軒の酒造元があったということである。
 「浜庄津町浜金屋町」は、「浜庄津町」と「浜金屋町」からなり、あわせて「庄金(しょうきん)」と呼ばれる。「浜庄津町」は商人・船乗りなどが住むところ、「浜金屋町」は文字通り鍛冶屋、大工などが住む職人町であった。「浜中町八本木宿」よりもこちらの方が早くまちが成立していたと考えられている。この地区は、細い路地に沿って並ぶ茅葺屋根の町家建築が特徴であり、これらは文久元年の大火後、明治期にかけて再建されたものということである。
 重伝建地区選定に至る前に街なみ環境整備事業を実施しており、ポケットパークの整備などが行われている。また、市のモデル事業で、宿場から宿場へ旅人の荷物を送り出す「継場(つぎば)」が修復され、まちなみ案内所として活用されている。
 重要伝統的建造物群保存地区に選定された経緯としては、もともと、住民の有志グループがまちおこしのイベントを開催した時に、外から来た人が蔵や町並みに関心を持っているのを知り、所有者の力だけで建物を守っていくことは無理であるため、国からの補助が受けられる重伝建地区選定を目指して活動をはじめたのがきっかけであり、その後息の長い活動を続け、市長も巻き込んだ運動となり、実を結んだということである。しかし、浜川の河川改修や道路拡幅、住民意向の温度差などにより調整に時間がかかり、保存対策調査が行われたのが1997〜1998年であるので、選定までに9年かかっている。
 今後、重伝建地区としての整備を進めるにあたり、いくつかの課題がある。まず、現在の法律のもとでは既存不適格となる伝統的建築物が多いため、修理を可能にするための緩和条例の制定と、防災性能を向上させる代替措置を検討中ということである。この地区は準防火地域の指定を受けており、茅葺町家が連続する地区の防火性能の向上などが大きな課題となっている。また、肥前浜宿というひとつのまちの中に2つの伝建地区があるが、選定地区のみの保存を進めるのではなく、2つの地区及びまちの中心を流れる浜川、周辺を含んだより広い地域全体の関係を重視した整備を行うことが、地区をより魅力的に見せるためには大切である。そのためには、景観法なども活用していく必要があるという意見が、視察会後に開催されたパネルディスカッションで出されていた。
 重伝建地区の選定を受けてから、もともと0であった観光客が増加しているという。これからまちがどのように変化していくのか、楽しみである。

参考資料:(社)日本建築学会都市計画委員会都市景観小委員会による資料、文化庁ホームページ

酒蔵通り

修復された「継場」

茅葺屋根の町家
  (2007.9.3/伊藤 彩子)