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昭和初期の典型的な地方銀行建築・旧津島信用金庫本店の行方
愛知県津島市

 津島の市街地には、本町筋と呼ばれる街道が南北に走っているが、これはかつて流れていた天王川の自然堤防沿いにできた道筋である。川が消えてしまった現在でも、昔の川の流れに沿ってゆるやかに蛇行する道筋が残されている。この本町筋に町並みが形成されたのは16世紀初期からと言われ、津島は伊勢と尾張をつなぐ湊町として発展した。
 幾つもの時代を経てきた本町筋には様々な時代の建物が混在して並んでいる。中でも天王通りの北側に位置する本町1丁目界隈では特徴ある風景が見られる。尾張有数の商家街の名残を残す、江戸時代・明治時代の町家が軒を連ねる間に、昭和初期建築の鉄筋コンクリート造2階建ての建物、旧津島信用金庫本店が、巨大な箱のように納まっているのである。異質な建築様式が混在しているところが逆に、町並みが多くの時代を経てきたのだということを感じさせる。
 この旧津島信用金庫本店の建物は、1929年に名古屋銀行津島支店として開店し、東海銀行津島支店を経て、1968年に津島信用金庫本店社屋となり、店舗移転後は倉庫として使われ、現在は津島信用金庫と合併した「いちい信用金庫」が所有している。専門家によると、昭和初期の地方都市に建てられた銀行建築の典型で、文化財としても価値は高いという。毛織物隆盛期に都市銀行も林立した津島の経済的繁栄を物語る上でも貴重な文化遺産である。
 しかし現在、この建物の存続が危ぶまれている。いちい信用金庫が、老朽化して使い途のない建物の処分を検討しているからである。しかし、建物の公共的価値を認識した信用金庫が津島市に相談を持ちかけ、現在市と信用金庫の間で話し合いが持たれている。財政事情が厳しい市としては、市民に保存の気運が高まり、活用にあたっての主体的な関わりがないことには、建物を取得することはできないという考えを持っている。
 そのような状況の中、貴重な町並みが失われることを危惧した市民が動きはじめた。2003年11月に本町1丁目の住民10人が、町並みを守るための組織「トノ割会」を発足させたのだ。自分達にできることからということで、竹でつくったプランターに花を植え、町内の各家の前に飾ったり、信用金庫建物の前に丸太で作ったベンチを置いて休憩スペースをつくったりしている。今後は、イベント開催などにより、町並みを多くの人に知ってもらう活動をしていきたいと意気込んでいる。
 また、市民組織「天王文化塾」では、会員が集まって信用金庫建物活用のためのアイデアを出し合い、冊子にまとめて市に提案した。天王まつりをヒントにして「まつりとあかり」をテーマとする施設とし、あかりの博物館や観光案内所といった機能を持たせ、運営にあたっては新たなまちづくりNPOを設立するという提案である。2004年1月に会員らと市長が会合を持ち、信用金庫建物の活用や、町並み保全について意見交換を行った。
 信用金庫建物の行方については、2004年3月中に方向性が出されることになっている。この建物が失われると、町並みは壊滅的な打撃を受けることになる。逆に、市民の手でうまく活用する道筋ができれば、まちの活性化や町並み保存活動に勢いがつくだろう。何とか活用できるようにしたい。


参考資料
中日新聞記事(2003.12.14)
日本建築学会東海支部歴史意匠委員会編『東海の近代建築』中日新聞本社、1981年
飯田喜四郎+伊藤三千雄顧問、瀬口哲夫+竺覚暁編『近代建築ガイドブック東海・北陸編』鹿島出版会、1985年
愛知県史編纂用資料「津島信用金庫旧本店(津島市)調査中間報告」
津島市中心市街地活性化事業推進協議会「津島の町屋・町並み調査及び保全計画」、2003年

本町1丁目界隈(左の建物が旧津島信用金庫本店)


旧津島信用金庫本店

トノ割会がつくった竹のプランター

(2004.1.23/伊藤彩子)