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 安曇野まちあるき

  先日の社員旅行で、長野県は安曇野市、穂高駅周辺のまち歩きをする機会を得た。安曇野市は長野県中央部に広がる松本盆地の北西部に位置し、複数の川によってできる複合扇状地上にある。その安曇野市の中心から少し北東に位置する穂高駅周辺のまちは、北に穂高川、東に万水川などの清流に囲まれ、北アルプスの雄大な景色やゆったりとした田園風景を堪能できる自然豊かな場所である。また忘れてはいけないのが、1日約70万トンも湧き出るという湧水だが、人々の生活に欠かせないものであるばかりでなく、貴重な観光資源となっている。安曇野を代表する観光資源である大王わさび園で、良質なわさびが作られているが、わさびづくりには年間通して水量、水温とも変わりないこの湧水が不可欠である。(湧水温は年間13〜14度程度と一定で、夏は冷たく、冬は温かく感じる。)
 まち歩きでは、現地案内人である「安曇野案内人倶楽部」の「安曇野あるく路」ガイドを利用した。(我々がまずガイド抜きで碌山美術館内を観覧し終えた後に、美術館の入口から開始した。)美術館は、安曇野のシンボルであり国の登録有形文化財である碌山館をはじめとした4つの展示館などで構成され、「東洋のロダン」とも称される彫刻家・荻原碌山の作品が数多く展示されている。この美術館が、30歳という若さでこの世を去った碌山の死後、地元の人々の寄付などで建てられたことや、その際敷地に隣接する(現在の)穂高東中学校の生徒も資材運びを手伝ったという逸話からも、碌山への地元住民の愛情を強く感じる。
 次に、碌山美術館を東に移動し千国街道へ。千国街道はかつてこの街道を使って多く運ばれた塩からとって、別名「塩の道」とも称される、松本と糸魚川を結ぶ街道である(「敵に塩を送る」という言葉の由来となった。)。穂高のまちには、この街道の宿場である保高宿があり、大いににぎわったのである。(現在の地名では穂高と書くが、街道宿としては保高と書く。)千国街道に来てまず我々を迎えるのが、「北の枡形」。この「北の枡形」とは(宿場へ)外敵の進入を容易にさせない仕組みとして、あえて路を(鍵の手にように)屈折させた箇所。安曇野のまち中のいたるところで、道祖神という石像が置かれ祀られるのを見ることができるが、特に立派なものがこの枡形に置かれている。この道祖神とは守り神として、本来各村々が所有しているものである為、裕福な村が他の村の道祖神を購入し、集めるということがあったと聞いた時は少し驚いたが、売った村のほうも代わりに金銭的に補償されたわけで、普通に行われていたようである。
 北の枡形を過ぎ千石街道を歩くと、いくつかの歴史的な趣のある建物に出会うことができた。2階の召し合わせ部分が段型である窓が特に特徴的である旧若松屋は自由民権運動家・松沢求策の生家であり、現在1階はカフェや店舗として活用されている。また、江戸時代に建築された貴重な建物が残っていたり、街道から1本外れた裏路地には古い建物が残され、懐かしい風景を見ることができた。しかしながら、現在安曇野を訪れる観光客はこの千国街道に足を運ぶことが少ないということで、非常に残念なことである。現在は全く面影は残っていないが、かつてこの保高宿の道の真ん中には水路が通っていたという。千国街道を貴重な観光資源として盛り上げていくためにも、将来的に水路の復活・整備が実現してほしいというガイドの方の思いも聞くことができた。私もぜひそうなってほしいと思ったが、水路が整備されたとしてどのように維持管理していくのか、など課題が多いようである。
 保高宿の南端の南の枡形では、緩くカーブしている道路が枡形(鍵の手)の名残であると解説をいただき、この枡形に今も祀られる青面金剛像や、人々の信仰の対象である十王堂などを見ることができた。
 最後に穂高神社に到着。穂高神社では20年に1度の大遷宮の間に2度行われる小遷宮が執り行われたばかりであったため、今年になって建て替え工事が済んだばかりの真新しい神楽殿を見ることができた。穂高神社はパワースポットとして地域の住民のみならず多くの観光客をひきつける人気スポットであるが、現在観光客の多くは神社の東側の表参道を通らず、駅から近い入口である北側の鳥居をくぐって最短距離で神社へ参拝してしまうようである。正式に表参道側の鳥居をくぐって参拝した方がご利益があるだろう、とのことなので、訪れる際はぜひ思い出していただければと思う。
 安曇野案内人倶楽部のガイドの方の丁寧な案内のおかげで、安曇野のまちが歴史ある魅力的なまちであることを知ることができた。今後安曇野を訪れる方がいたら、ぜひ当ガイド利用していただくことをお勧めしたい。

碌山美術館

北の枡形の道祖神

千国街道と旧若松屋

路地裏の道祖神

穂高神社東側の表参道を通り奥に見えてくる神楽殿
(2016.6.21/大河原章介)